ようこそ宇宙

おとなビギナーの考えすぎブログ

ただ嫌いな音楽を語るのか、その音楽が嫌いな自分を語るのか。

嫌いな音楽 - K Diary

ポップソングがきらいな理由 - あざなえるなわのごとし

読みました。まぁ、わからなくもないです。

 

でも、二つの記事には論調に決定的な違いがあって、二つ目の記事は、特にGreeeenやファンモンのファンでもないわたしでも反感を抱いてしまうような内容でした。

一つ目の記事では「感情的」「個人的」「俺自身が無理解なのかもしれない」と、客観的で冷静な視点も入れつつ、一人の感情を中心に嫌悪感が書かれてます。

なるほど、そういう人もいるんだろうと納得できますし、その人自身の問題に感じるので、反論したいような気持にはなりません。

 

二つ目の記事ではまず「ポップソングが嫌いな理由」とタイトル付けされてる。

一つ目の記事ではこうなってます。

GReeeeNとか遊助とかファンキーモンキーなんたらとか。耳が腐る、と言っても過言ではない。これ系ってなんていうジャンルなんですかね。 

その音楽のジャンルに関しては明言せず、「あの辺」と漠然としたイメージを読み手に与えます。ファンモンだけは少し違うような気もしますが、Greeeen遊助の楽曲は確かに同時期くらいに爆発的なブームが起きてますし、どの辺なのかはすぐに理解できます。

 

一方で二つ目の記事ではそんな音楽たちを「ポップソング」とまとめてしまってる。

そもそもポップソングの定義って、曖昧なものです。大衆音楽なのか、ポップミュージックのことなのか。少なくともGreeeen遊助、ファンモンあたりの音楽だけを指した言葉では決してないはず。

「ポップ=軽さ」というイメージは確かにありますが、この二つ目の記事を書いた方は一つ目の記事の方の嫌悪感に便乗して、「ポップソング(J-POPのことを指してると思う)」という大きなくくりのダメ出しをしたいだけのように思えるのです。

そして「ポップソング」をダメ出しすることは、この方にとって自分の愛する音楽やジャンルの肯定、ひいては自分の「サブカル」というポジションの肯定につながるんだと思います。

一つ目の記事の方がまっすぐに自らの嫌悪感を書いたのに対して、二つ目の記事の方はいろいろなものに名前をつけながら、自分のアイデンティティを主張しているようにしか思えません。

自分の知っている(ポップソングに比べたら)コアな音楽を羅列して、「サブカル」と自称して、「サブカルだけど多角的な視点も持っているんですよ」ということで、「ももクロ」の名前を挙げる(ように読める)。

「サブカル」も「ももクロ」も「ポップソング」も、一人のアイデンティティのためにやり玉に挙げられ、使われているように感じてしまいました。

別に悪いことだとは思いませんが、「ポップ」にもこの方の言う「サブカル」にもワクワクするわたしとしては、残念だなぁと思います。

 

わたしには嫌いな音楽はありません。と言うと、なんだかズルいような感じもしてしまいますね。

強いて挙げるなら、学生時代はジャニーズが大嫌いでした。自分で音楽を作って自分で歌う人たちが一番偉いと考えていて、他人の作った曲で彼らよりもCDを売り上げ、人気を博すアイドルたちを快く思っていませんでした。

ただ、今はそんな偏見もなくなり、アイドルのストーリー性やそのアイコン的な意味に魅了されるようになりました。人からの好意がなくなれば成り立たなくなるアイドルという職業に、儚さと力強さも読み取れるようになりました。

売れる音楽も、いわゆるロキノン系に傾倒している頃は大嫌いでした。遊助なんかは、当時ネット上で話題になったおかげで、わたしの嫌悪の対象に使われてしまっていました。でも今は売れる音楽にはその音楽性以外にもいろいろな売れる理由があるとわかったし、良いから売れている音楽だってたくさんある。

ひねくれずに良いものは良い、と受け入れることは、心の安定にもつながります。

 

なんだか一つ目の記事にするにはとげとげしいし、いきなり他人の記事の便乗かよ、という感じですが、実はブログを始めるきっかけはあざなえるなわのごとしさんの「残念というキーワードで今のユースカルチャーを語ってくれませんかね」という言葉に触発されたからです。

あざなわさんの記事はいつも読ませていただいていて、私がはてなを知るきっかけにもなったブログです。

だからこそ、なんだか引っかかる部分も多くあって、わたしもその引っかかった部分を頭の中だけじゃなく外に向かって書いてみたいと思いました。

というわけで、ブログはじめます。

続かないと思いますが、よろしくお願いします。「残念」と「10年代のユースカルチャー」についても近々考えてみたいと思ってます。