都会でうまれた少年も、少年時代の夏休みの思い出をだいじにとってあるはず。
田舎は良くて、都会は悪な風潮が悲しい。 - 壁に向かってフルスイング
どちらも、東京が(都会が)「ふるさと」な人たちです。
都会に生まれ育った人たちに対して、「便利でいいな」とは思えど、その少年時代の田舎とはまた違うあったかい思い出や、逆に苦しんだり辛いことについて考えてみたことがあったでしょうか。
自分たちの地元を「田舎」と呼んでる人たちは、都会の人々に対して穿った見方をしてしまっていないでしょうか。
わたしは神奈川に生まれ育ちました。
みなとみらいやランドマークタワーで有名な横浜でもなく、サザンオールスターズを生んだ湘南でもありません。ただの、神奈川の真ん中の方にある、都会とは絶対に言えないまでも、特に田舎でもない場所に今も住んでます。
大学に通うようになって、地方からこちらに出てきた人たちと話すようになりました。違う土地で生まれ育った人たちの話は面白く、いつも新鮮な思いで聴いています。そしてふるさとの話をする同級生の顔は、きまって大人が昔を懐かしむ表情に見えました。まだ実家暮らしのわたしには、彼らが自分とは違う自立した人間に思えます。
例外もあるだろうけど、大体みんな、自分のふるさとが一番だよね。
小さいころから友人同士で、「ほんとにこの辺は田舎だよね」と言い合って育ちました。情報はほとんどテレビから得る子どもにとって、東京や横浜に比べたら全然「田舎」に感じたからです。
夏休みにはザリガニを釣ったり自転車で遠出して迷子になったりしました。家族のおでかけといえば車で30分くらいかけてイオン(当時はサティ)に映画を見に行きました。
終業式の日に、全員バケツ稲を抱えながら汗を垂らして帰り道を歩いたのも覚えてる。近くの空き地で背の高い草を結んで秘密基地を作ったこと。スーパーやコンビニからダンボールをもらってきて、集会場で子どもだけでおばけやしきをやったこと。みんなで窓をふさいだり、絵の具で血のメイクをするあの準備時間、なんて楽しかったか。おじいちゃんおばあちゃんが見に来てくれたり、友達が驚いてくれるとすごく嬉しかった。
スズメの子供を拾って家に持って帰って飼ったこともあった。何を食べさせればいいのかわからなくて、ドラッグストアのお姉さんと相談したり。ああ、夏休みには誰かの家に集まってホラー映画を見るのも恒例だったなあ。今思うとすごいうるさかったと思う。お母さん方、ごめんなさい。
高校の頃、あまりしゃべったことのない友人と一駅分のんびり歩いたこともあった。10月だったけどまだジリジリ日が照って、二人ともじんわり汗をかいた。意外と盛り上がったり、お互いこんなに面白いこと言い合えるんだって不思議に思ったり。一番盛り上がったのは茂みのなかに一頭丸々の牛骨を見つけた時だ。もうそんな年でもないのにギャーギャー言って逃げたなあ。
まだ子供頃の感覚が抜け切れないで、「この辺も全然田舎だよー」って地方から出てきた大学の友達に言うと、怒られる。怒られなくても、不快な顔をされる。「この辺が田舎ならうちの地元はなんなんだ」「もっと田舎からきたんだ」って。「東京が近いからいいじゃん」って。
そうかあ、そうだよね、ごめんねえ。
高校や大学の選択肢が狭かったりだとか、ディズニーランドに行きたいのにいけなかった記憶だとか、洋服を買う店に困ったりだとか。
そういう話を聞くと確かにわたしの地元は田舎じゃあないと思う。
でも、東京が近くても、ディズニーランドが近くても、うちらは地元を「ほんと田舎だよね」って馬鹿にしながらも愛するのが楽しかったし、それが思い出なんです。
きっとみんなもそうだったんだと思う。
東京の人だって「東京にしては田舎だよねえ」って地元を愛してる人たちもたくさんいる。
都会とか田舎とかじゃなくて「ふるさと」「地元」の思い出を大事にしたいだけなのにね。地方から出てきた人の「都会」に対する憧れと嫌悪は、都会の近くに住んでた私にとっても悲しくてもどかしいです。
一度、私の地元にも来てみてよ。君の地元と似てるかもわからんし。
でも、せっかく来てもらっても牛小屋とかでっかい川くらいしか見せるところもないんです。まあ、機会があったらね。
神奈川よいとこです。